3/19、この日は早くして伝説となったギタリスト、
ランディ・ローズの命日でした。
1956年12月6日、カリフォルニアで生まれたランディは、
7歳の誕生日の時に祖父からギブソンのアコースティックギターをプレゼントされ、
ギターに触れることとなります。
8歳になるとエレキギターを始め、
母親の経営する音楽学校の講師からレッスンを受けますが、
1年ほどで「もう教えることはない」と言われるほど、
当時から卓越したテクニックを持っていました!
(なおランディの両親は2人とも音楽教師で、
父は早くに亡くなりましたが、
母の援助でランディの兄弟は音楽の道に進むこととなったようです)
この頃にはクラシック音楽に影響を受け、
これがランディ・ローズ奏法のルーツとなりました。
そして兄と供に最初のバンドであるviolet fox結成。
しかしながらこのバンドは数ヶ月で解散。
その後はローカルバンドで活動しながら、
1971年に見たALICE COOPERのライヴに感動、
母親の音楽学校で講師を務めながら、
ミュージシャンの自覚を持っていきます。
1975年にQUIET RIOTを結成し、
デビュー時から評判になったものの、
デビュー・アルバム、2ndアルバムは
日本のみのリリースとなり、
当時はそこまで有名な存在ではありませんでした。
転機となったのは「BLACK SABBATHを脱退したオジー・オズボーンがギタリストを探している」、
この話を友人から聞かされたことです。
ランディは乗り気ではなかったものの、
母親に言われるがままオーディションに参加。
するとランディの美しい容姿、オーラに惹かれて、
ランディはギターを弾くことなくオジーのギタリストとなりました。
1981年にBLIZZARD OF OZZ「ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説」 、
DIARY OF A MADMAN「ダイアリー・オブ・ア・マッドマン」のアルバムをリリース、
クラシック音楽に影響を受けたランディらしく、
当時としては珍しかったクラシカルなフレーズを取り入れ、
悪魔的なオジーと最高の化学反応を見せたこのアルバムは、
当然のごとく大ヒット。
Crazy Trainのギターは今聴いても鳥肌が出るほどかっこいいですし、
ギターを弾いている人であれば、
「コピーしたい!」と思わせてしまうほど素晴らしいですよね!
そんな順風満帆なランディに悲劇が起きます。
1982年3月19日、ランディを乗せた小型飛行機が墜落し、
25歳とあまりにも早すぎる死を迎えました。
クラシック・ギターへの転向を考え、
オジーのバンドから脱退を考えていたらしく、
事故がなくてもオジーのもとで長くギタリストはやらなかったのかもしれませんが、
わずか数枚のアルバム、短い活動期間でHR/HM界に圧倒的インパクトを与え、
今なお影響を与えるランディ…。
もしランディが今もいたらHR/HM界はどんな感じになっていたのでしょうか?